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  • ジョンマン

2020.07.13

さて、前回はカレーをテーマにお話してみたわけですが、カレーが美味しいのは書かせてもらったとおりで、国民食として広く愛されていることにも異論は無いんですが、やはり数多ある料理の中でのB級感は否めないところ。

世界には実に多くの“料理”が存在している。素材の味を最大限に活かし、職人が丁寧に手がける“和食”。トレビアーンな美しい盛り付けやバターをふんだんに使用したコク深いソースが売りの“フレンチ”。僕も愛してやまないパスタ、本場ナポリのピッツアなど日本人の多くにアモーレされている“イタリアン”。3000年の歴史があり、美食大国としてのスタンダードな貫禄とニューエイジな一皿も次々に誕生する“中華”。そこにメキシカンやスペイン料理、近年ではそのスペインのエルブリを代表とした分子ガストロミーから派生した北欧のヌーベルキュイジーヌなど多岐にわたる。

もっと知りたいという方は、こんな感じの本を勝手に読んでいただきたい。



ということで、今回のテーマはずばり

ラーメン

略して“メーラン”のお話をしましょう。

そう、すでにご察しのとおり前置きは全く関係がなかった。しかし、カレーとタイマンを張れる唯一の国民食といえばラーメンをおいて他には無いから、いずれ避けては通れない道なのである。

出自がよく分からんことで有名なwikipediaによると

ラーメンとは、中華麺スープを主とし、様々なチャーシューメンマ味付け玉子、刻み海苔など)を組み合わせた麺料理。漢字表記は拉麺老麺[2]または柳麺。別名は中華そばおよび支那そば南京そば[3][4]である。近年は平仮名で表記されることもあるが、表記は様々であり、中には「らーめん」や「らあめん」、「らうめん[5]などという、語源からすると明らかに誤りとなる表記すら存在する。中華人民共和国中華民国台湾)では日式拉麺(日式拉麵/日式拉面)または日本拉麺(日本拉麵/日本拉面)と呼ばれる。英語表記は、『オックスフォード英語辞典』によると ramen[6]、Chinese noodles[7]。日本では、幕末明治時代に開国されたに出現した中華街(南京街)に中華料理店が開店し、大正時代頃から各地に広まっていった[

だそうだ。平仮名で「らうめん」などという看板は見たことがないし、やはり多少のバグは否めないが、概ねこんなところらしい。

思い起こせば、僕が子供の頃には“ラーメン屋”というものはほとんど無かった。そんなところから僕の年齢を推察するのはやめていただきたいが、事実である。

物心ついたころ唯一記憶しているラーメン専門店は千駄ヶ谷のホープ軒のみで、あとは街の中華屋で食べるいわゆる中華そばが“らーめん”であった。

そう考えれば、現在の多様性は尋常じゃなく、そのスピード感も含め“IT化の波”にも負けない恐るべき進化である。

もともとは醤油、塩、くらいの分類であったものが、九州豚骨やら北海道味噌やら福島喜多方やらの地方豪族の侵攻が始まり、その後日本最大の港町横浜での家系の勃興や、かつての都、京都で食文化への謀反を起こした天下一品などの新興勢力が次々と産声をあげていった。そして、とにかく辛い系やら、魚介系、しまいにはスープ子を麺二郎と強引に別れさせたイケメン、じゃなくて“つけ麺”まで登場し(そういえば二郎系もあったな)さらにはチーズをぶっ込んだり鮎で出汁をとったりトリュフ入れたりと、発祥の地中国の現在のような節操の無さである。

そして、ミシュランのお星付きラーメン屋なるものまで出現。ミ、ミシュランって、日本の庶民フードがおフランスの方に評価されるなんてとっても光栄ざまーす。そして、アメーリカのピーポーまでがこぞって“クールな”ラーメンを作ってたりもするYo,メーン!!

もう、なんだか分からんが

要は僕がラーメンに興味が、、、

という締めはもう通用しないだろう。

そうそう締め、といえば“締め”なのである!その昔メーランは“締め”としての役割が大きかった。ラーメンといえば、酒を飲んだ後に「ちょっとメーランでも行っとく」「おっ、いいねラーメン」なんて感じで、メーランのお店は(ここから先はラーメンで統一しよう!)徐々に深夜営業化していった。

朝7時までやっているラーメン屋などザラで、僕が通ったところでは西麻布の“かおたんラーメン”が思い出深い。当時音好きのレディース&ジェントルメン(注:ラーメン屋の名前ではない)は皆通ったクラブ “イエロー”その朝練帰りの早朝6時頃に良く食べていた。



ここはラオスではなく間違いなく西麻布だ。

“その昔”といえば、僕がクラブ活動に勤しんでいた頃からさかのぼること400年ばかり前、なんと日本で初めてラーメンを食べたと言われているのが水戸の小池さん!じゃなかった、光圀公である。

そうです。あの「この麺処が目に入らぬか〜」のお爺ちゃんですね。

そうか、それであの台詞なのか〜

その辺りのことはこちらの本(上下巻合わせ1000ページ越え)にサラッと目を通していただければどこかに書いてあるかもしれないし、ないかもしれないが参考までに。



それはちょっと、という方はこちらをどうぞ!



水戸黄門TVシリーズ!

こちらも、シリーズ全話で1000話以上あるらしいが

本を読むのが苦手という方は寝ころんでDVDでもゆっくり見直していれば

ラーメンを食べる黄門様が観れるかもしれないし観れないかもしれない。

こうして、“ラーメン”は地下アイドルに憧れていた少女がレディガガになってしまったような大出世を果たしたのである、、、、

“なんだこのまとめ。。。”

と、心の片隅で思われたそこの奥さん!

そ、そうなんです!自分、そんなにラーメンに詳しくないんす!す、スミマセーン!

でも、これでも頑張って書いてはみたんです。。。



「。。。。。。。。」



「せ、セイラさーーーーーーん!」



僕「(アムロ)行きまーす!」そして「(松本)動きまーす!

ということで、気をとりなおして、ラーメンのお話はweb上に溢れているし、美味しいラーメン屋の情報はラーメンチャンピオンやらチャランポランやらの出版物やブログなどにまかせて

僕の個人的TOP3を発表しておこう!(唐突ですが、、)

それでは、順位はつけられないので3店同時に発表するのでいっぺんに見て欲しい。ドーン!

・ 和正(魚介つけ麺)

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13050021/




・臥龍(鶏白湯らーめん)

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13027085/




・日清(チキンラーメン)

https://www.chickenramen.jp/



これらに共通するところとしては、いずれも美味しいこと、全て家から徒歩5分圏内であること。

そして、店主が顔見知りで”優遇”してくれることである。特筆すべきは最後の日清のチキンラーメン。徒歩5分どころか常に我が家で開店準備中であるし、これを購入する近所のローソン店員の吉田くん(名札参照)は僕に対してメチャメチャ親切だ。最近の勘違いして職人ヅラしたラーメン屋の店主の100倍気持ちの良い接客である。

ちなみに、当時「中華そば」と呼ばれていたものを「ラーメン」という名で世に広めたのがチキンラーメンである。

まあ、家の近所ばっかしやん!しかもひとつはインスタントって、、と手抜きだと言われてもシャクなので

家からの距離を考慮せずに本当に本当のマイベストを特別にお教えすると、

・梅華(そば) 自由が丘

https://tabelog.com/tokyo/A1317/A131703/13003211/




・朱華園(中華そば) 尾道・広島

https://tabelog.com/hiroshima/A3406/A340302/34000078/




・筑紫楼(フカヒレ煮込みそば) 恵比寿

https://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13003323/




となる。

注:先にも述べたがブログを書いた割に僕はそんなにはラーメンを食べ歩いていないのであしからず。


最初の自由ヶ丘の梅華。こちらは僕の父親イケキヨ(第三話50行目辺り参照)が高校生の頃から通い、当然僕も乳飲み子時分から幅をきかせているチョー老舗である。

当然ラーメン屋ではなくれっきとした中華料理屋であるが、麺類の美味しさには定評があり、名物“三鮮麺”(シャンシェンミィェンと発音

する必要は全く無い。)が有名だが、僕はここのどシンプルな中華そばが大好きである。

ちなみに、ブログで「〜が大好きです。」なんてことを書いて評価してもらえるのは宇多田ヒカルクラスの人だけだと常々思っているのだが、つい書いてしまうくらい好きだということで許していただきたい。

そして、唯一東京以外からノミネートしたのが広島は尾道(大林宣彦監督の3部作で有名な坂の多い美しい港町である。)の朱華園の中華そば。今では尾道ラーメンというジャンルも確立されているが、こちらが総本家である。

このラーメンはイケキヨ(10行くらい前参照)が当時広島に出張に行く度にわざわざスープをタッパーに入れて、麺と具材も包んでもらい

まだ中学生だった僕を出張帰りの真夜中に起こして無理矢理食べさせる、というはなはだ迷惑な代物であった。

しかし、その美味さは例えるなら、いや例える必要は無いか、、、ともかく無理矢理持って帰ってきて食べるだけの価値はあった。その後成人してから、僕はこのラーメンを食べるためだけに5回も尾道まで行ったくらいである。

しかーーーし、今回のこのブログのために調べてみると、ななななななななーんと

店主の朱さんがご高齢のため閉店されていた。

まわる〜まわるーよ、時代はまわるー、と中島みゆきが言ったとしても諦めきれないほど残念なことである。最後にもう一度食べたかった。。。

ちなみに「もう一度食べたかった」などという感想を述べられても頭に来ないのは「接待を伴う夜の街関連」の女性だけだと常々思っているのだが、本当に思ったので許していただきたい。

最後の筑紫楼は高級フカヒレ料理専門店で有名であるが、名物のフカヒレ料理を調子にのって食べまくるのは人様の支払いの時だけで、自分で行くとき僕が頼むのはこちらのフカヒレ煮込みそばとビールオンリーである。それを食べたらとっとと帰るのが鉄則である。(他にそんな客は見たことないけど)

この深〜い味わいの、湯船にためて一日中浸かっていたいほどトロミがかったスープと品の良い麺を、別添えのモヤシと絡めながらススルと、”もう死んでもいい”とは全く思わないが”こんびねーしょんいい”とは思う。

これが、僕が知っているラーメンのすべてである。

ラーメンの話、

オ・シ・マ・イ!




ホントに、どうもスイマセーーーーン!!!心の底から悪いと思ってますので!!!




ねっ、ねっ、ねっ、許してくる?

余談ですが、↓↓↓こちらの方はラーメン界では小池さんと並ぶ山田さんである。(紹介が地味だな)

そう、言わずと知れたジロリアンたちの神様

山田二郎エグゼクティブ ヌードルシェフである。ちなみに篠山紀信みたいな肩書きは適当である。


注:プラーバシーの保護のため顔はボカしてあります。(僕の)

彼はイケキヨ(もう覚えていただけただろう。僕の父親のことだ)の小学校時代の親友であり僕の小学校の大先輩でもある。地元の28こ上のパイセンである。

ここで、ラーメン二郎に関するトリビアをこっそりお教えしよう。


山田パイセンは、常に鼻毛が出ている。これ、絶対内緒ですよ!


勿論そんなことではなく、山田パイセンは数年前まで全国約50店舗にのれん分けした店舗から、フランチャイズ料はおろかロイヤリティーすらもらっていなかった。

しかし、ある時弟子たちが自ら志願し全国のラーメン二郎から売上のほんの数%を上納することとなったのだか、その金額たるやなんと、、、

奥さーーーん、ラブパクを101本ワンちゃん買いしていただいた暁にはこっそりお教えしちゃいましょう!

ラーメンとはまったく関係のないトリビアで恐縮だが、彼は子供時代貧しく苦労人だった。ラーメン二郎を三田の某大学の隣に作り、安い値段でボリュームたっぷりのラーメンを提供したのも、のれん分けした弟子たちからお金を取らなかったのも、苦労を知る男だからである。要するに僕が言いたかったのは、山田パイセンが、

ラーメンだけにコシを据えた、背ノビしないナイスなオールドガイだと常々尊しているということ。

ホントに

お終い
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