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  • ジョンマン

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「こんにちは!」

久しぶりに筆をとってみました。タイプですけど。

お盆の時期、皆さんはいかがお過ごしでしたか。もちろん、なるべく家から出ずにステイホームで過ごしたことでしょうね。

もちろん、僕も自粛してほぼ家にいました、、、。



いや、気持ちはわかりますよ加藤さん!そして都内のみなさんも!

お盆というのは、僕ら都民、しかも実家が東京の人間にとっては帰省も無いわけで、僕みたいなワーキングクラス野郎にとっては年に3回しかない大きな旅のチャンスなわけで、拝啓父さん、僕も本名はジョンじゃなくてジュンなわけで、、、

しかしまあ、他県の人を感染させないように感染者の多い東京からの渡航は控えましょうという話がニュースなどで多く聞かれましたし、特に感染者の増加が著しい沖縄のタマキ◯デニー知事が声高に言っていたので僕たちのほうもやはり遠慮するしかない風潮で、今年は我慢。マンガです!!!

なので、漫画を読み倒してやりましたよ!ONE PIECEを1巻から再読してやりましたよ!シャンクス四皇なのにワニみたいなのに腕噛みちぎられてましたよ!



というわけで、今回は去年のこの時期に行った奄美大島の旅を物語風に書いてみました。

少しでも旅風情を味わっていただければ幸いです。

*この物語はフィクションです。登場人物、団体その他はあくまで架空のものとしてお楽しみください。

8月13日

東京はうだる様な暑さが続いており、ヒロシはこの朝も息苦しさの中で目を覚ました。時刻は午前4時。フライトは9時台なので目覚めるには早過ぎだが、

これはヒロシの日常だからそのまま起きて支度を始めた。

7時に渋谷でガールフレンドの山本スーザン久美子(以下スーザン)と待ち合わせしているので、日課の公園でのラジオ体操は諦めて軽く座禅だけして家を出た。

スーザンと合流して成田エキスプレスに乗る。このお盆の時期としては空いていた。南の島に思いを馳せ、池澤夏樹の「マシアス・ギリの失脚」を流し読みしているうちに成田空港に到着し、チェックインを済ませた後機内で少しでも寝れるようにビールを2杯流しこんだ。

機内もこの時期としては空いていた。やはり今年は海外組が多く、帰省者も多くないだろうとふんで選んだ奄美大島は正解であったらしい。

が、席に座るとヒロシはなにか違和感を覚えた。


「座ったら膝が当たるやーーーん。」


さらには

「座席が2ミリくらいしか倒れないやーーーん。」

LCCというものに初めて乗ったヒロシは驚愕した。心臓の鼓動が聞こえる。

落ち着こう。そうだ、なにか映画でも観て、、、


「モニターが無いやーーーん!」


ヒロシは軽くパニックを起こした。リゾートスタイルの短パン、サンダルも合間って寒気が襲ってきた。そうだブランケットをもらおう。


「無いんかーーーい!」


出自がフランス貴族階級のヒロシは

「責任者を呼んでちょうだい!」

とは言わずにとっとと寝た。

しかし、ヒロシには前々から不思議に思っていることがあった。

例の、事故が起こった時のあの酸素マスクやらライフジャケット云々の説明である。

よく考えてみて欲しい。

まず、飛行機が海面に、運良く海面に墜落したとしよう。

45°の角度で降下したとする。時速は最低でも650km。

その場合海面はコンクリートと同じだ。機体は、そりゃもう粉々である。その時に酸素マスクとライフジャケットを装着し膨らませたりする時間があるなら、残された家族や友人に感謝の言葉の一言でも書き綴ろう。

また、ライフジャケットにはホイッスルが付いている、

そう、笛だ!

無事に着水できたとして海に漂流した場合に救助隊に気づいてもらう為だという。

それが目視できない夜間だとしよう。救助隊のヘリは

「ブオババババブアバババボボボババババブア」

とけたたましい音をたてながら飛んでくる。乗組員も耳栓とヘッドセットをしているだろう。そんな中、暗く冷たい水面で体力も奪われた体で笛を

「ピッ、、、」

残念ながら100%聞こえない!

タイタニックの時代では無いのである。



そんなことを友人と話している夢から目覚めると、もう眼下には美しい島があった。



奄美空港に着いてまず驚かされたのは、飛行機を降りて歩いて行く、

トコトコ、トコトコ、トコトコ、トコトコ、トコトコ

んっ?もう外?

ヒロシは10年くらい前に行ったスリランカの島を思い出した。

飛行機を降りてわずか15秒でそこはもう“奄美大島”だった。

“トンネルを抜けるとそこは雪国であった”という川端康成の有名な一節を

ヒロシはわずか0.01秒でひねり出したことになる。


天才かよ!

とはスーザンは言わなかった。

奄美着12:20。

ちょうどお昼時、ホテルのチェックインにもまだ時間がある。

すると空港の出口のすぐ横にブラザージジーがいた。単なる真っ黒に日焼けした爺さんだ。

「すみません。この辺で美味しいお店ってどこかありますかね」

ヒロシは最高のスマイルで尋ねた。

「。。。」

「す、すみませーん。この辺で美味しいお店知ってますか?」

「。。。」

「すいませーーーん!」


「んあっ」

ネテタンカーーーイ!

スーザンがアメリカ訛りのツッコミを入れた。

結果そんなもんはねえ、ということでタクシーでホテルへ向かうことにする。

タクシーの運ちゃんもやはりブラザージジーだった。当然タクシーの中は90年代HIPHOP

などかかっているはずもなく、ゆっくりと目的地を目指した。



宿に着くと、そこは地元在住の友人に聞いて選んだだけあって、さすがに人がほとんどいなかった。

生来のシティーボーイ(と歴代のガールフレンドから揶揄されてきた)ヒロシ

はアクティブなことは嫌いでマリンスポーツはもちろん、マングローブのトレッキングなどにはサラサーティー興味はない。少し遠くのビーチまで歩いて行こう、と妥協しつつ提案するまだ年若いスーザンの提案もバッサリ切り捨て、ビーチでゴロゴロ、プールでチャプチャプ、ビールをグビグビ、エアコンの効いた部屋で本をパラパラ、そしてベットでグーグー。これの永久無限ループを始めた。

アラブ王族出身のヒロシはいつも思うのだが、なんでみんな旅先でそんなに動き回ろうとするのだろうか、忙しい日常しか存在しない街からわざわざ行っているのに何かしていないと死んでしまうかのように動く人が多い。心も身体も休息を求めているから来ているのではないのか。

これは何もビーチリゾートだけの話ではない。それがNYであってもParisであっても、4〜5日くらいの旅であれば名所を巡ったり買い物をすることより、その街の日常の中に溶け込んでダラダラ地元の料理を堪能しながらローカルに混じって酒を飲んだほうがよっぽど旅を満喫できるとヒロシは考えとります。ヒロシです。ヒロシです。

と、劇場でパフォーマンスをする夢から目覚めると、もう夕暮れ時であった。


ここでもビーチには人っ子ひとり無く、ヒロシ&キーボーではなくスーザンは無人島に来ている錯覚におちいった。

夜になり、奄美の名物料理をスーザンに調べてもらうと「鶏飯」という料理であった。それでは一度は食べておこう!と食に関してだけはベリーアクティブなヒロシは歩いて15分ほどのお店を目指した。

(ガラガラ)「こんばんは〜」

店内を見渡すと3方が大きな窓の風通しのよい店で海沿いの外の席も空いていた。

きっと無限に広がる星、星、また星が見えるはず

が、店内をよく見ると、そこには無限に広がる


紋紋、紋紋、紋紋、ムンムン、、、

そう団員の方たちが大勢いらっしゃった。たけし軍団ではない。アバレル関係の方々である。



南の島の熱気とは全く関係ない汗がヒロシの背中を流れた。

が、「カモン〜」とズンズン進んでいくスーザンの背中だけを凝視しながら、

上半身裸の団員の方たちの背中には目もくれず席についた。

そうか、これは奄美で毎年行われている刺青カンファレンスだなきっと!

とすぐさま気を取り直して早速ビールと鶏飯をオーダーした。


鶏飯はほぐした鶏肉をメインとした具材をご飯の上にのせ、そこに鶏のあっさりしたそれでいてコクのあるスープをかけていただく料理だった。

暑い島の名物としてはどうだろうかと思ったヒロシであったが、これが予想外に美味しく、普段晩ごはんに米はあまり食べないヒロシであったが、お茶漬け感覚でオカワリまでして平らげた。

そしてビールも4杯目にさしかかりいい気持ちに外からの風を感じていたところで、近くにいた女子グループの会話がふと耳に入ってきた。

「〜〜〜の隣のあのカフェでしょ〜。あそこちょー駅近くていいよね〜」

「そうそう、ちょー駅近でいいよね〜」「ねーっ、ちょー駅近いよね〜」

そうかそうか、そんなに駅から近いのか、ふーん。その時ヒロシの中では

「懲役近い、懲役近い」

のリンダリンダAメロ状態にしか聞こえなかった。

また、背中に冷たい汗が流れた。だから若い女は嫌いなんだよ、空気読めよ、

だいたい駅近の話でそんなに盛り上がんじゃねーよ、とひとり心中ムンク状態のヒロシを横目に、こちらは空気ではなく日本語が読めないスーザンは涼しい顔で鶏飯を食していた。



DAY2

2日目も変わらず、朝からゴロゴロ、チャプチャプ、グビグビ、パラパラ、グーグーの無限ループを繰り返そうと、早朝5時に目覚めたヒロシ48歳みずがめ座O型は心に決めた。

しかし、何しろ食とお酒に関してだけは貪欲なヒロシはホテルのレストランの

ご飯にもお酒の種類にも満足していなかった。

そこで、ホテルの前の山の中腹に見える一軒家のカフェのようなお店に行ってみようということになった。

とはいえここは奄美大島である。そんなに期待してはいけない、そう期待の大きさに比例して絶望はやってくることは人生で何度も経験してるだろ、ヒロシ!

と自問自答しているうちにお店に着いた。

お店のロケーションは海を広く見渡すナイスな場所だ。

そしてお店自体も、ふむふむ、なるほど、うんうん、悪くないじゃない。

でもヒロシは、まあでも食事の味は、そうここは奄美大島だぞ、大きな期待は

禁物だ。何度、、、

ナニブツブツイッテンノヨキモーイ!

スーザンの一言でヒロシは現実に戻ることができた。



お店の雰囲気はかなり洒落ていて、メニューはタイ料理をメインにタコライスや島豚のゴロゴロハンバーグのロコモコなど、どれもこの南国の島ではそそる

ラインナップであった。まあ、カフェ飯くらいに考えておけば美味しく食べれるだろうとヒロシは考えていた。

ヒロシが選んだのはガパオライス、スーザンがパッタイと完全にタイ気分になった。ビールとの相性もいいし、食後のお酒も自家製サングリアや黒糖もヒートなど種類は豊富であった。

店内の音楽もジャニス・ジョップリンがかかったと思えばフィッシュマンズが

かかり、ボブマーリーからビルエバンスへと幅広く、単に流しているわけではない店主の趣向が感じられた。そして料理が運ばれてくる。

見た目はとてもシンプル。しかしひと口食べると、



「なんじゃこりゃ〜」

ヒロシはジーパン刑事(太陽にほえろの松田優作)のことが頭をよぎったわけでもなく、自然に目の前の大洋に吠えた。

激烈に美味しかった。タイにも何度も行っているし、東京でもちょいちょいタイ料理は食べるが、これまで1番の味である。島豚のゴロゴロした食感の挽肉

もグットだし味つけも申し分なく、なんと言っても横に添えてある、お店のお兄さんが強調して説明してくれる“あのからいやつ”という商品化もされているらしいオリジナル調味料を混ぜると最高に美味いのである。コイサーである。

スーザンのパッタイも美味しく、舌鼓をうちまくり、モヒートにも満足しテンションの上がったヒロシは、柄にもなくシュノーケリングでもやってみようかとスーザンが発狂するほど喜ぶことを口走った。

これが全ての間違いであることを、この時のヒロシはまだ知る由もなかった。

続く

続き。いざビーチへ戻りシュノーケリングの道具を借りて海に入る。

ほぼ初めてのヒロシであったが、世界中でダイビング経験のある“ハーフなあまちゃん”スーザンのご指導ご鞭撻のおかげで浜から15メートルくらいの範囲では楽しむことができた。それでもギョ、ギョ、ギョとさかなクンも叫び、サカナクションもウレションするほど多彩な魚を見ることができた。

しかし、すでにランチで4杯ほど飲んでいたヒロシは、シュノーケリング中も海水を3杯くらいオカワリし、足も吊りそうになったことだし、そろそろ潮時かなと岸に戻ろうとしていた。スーザンも遥か沖の方で楽しんでいることだし。

と、その時岩場から手を振る人影が目に入った。見ると老婆と小さな子供であった。仕方なしにそちらに近づくと、老婆が言った。

「スミマセン、孫がこの下に物を落としてしまって。」

見ると、3〜4メートルほどの深海に鉄製のアミのような物が落ちている。

マジか、、、。相手は老婆と小さな子供、こちらは見ようによっては潜るためのフル装備をキメ込んだ大人の男である。これを断るには理由が無さすぎる。

ヒロシは満身創痍の心と身体に笑顔を貼り付けて、

「ちょっと待っててくださいね。」そう言わされた。誰に?何に?おそらく“世間体”というやつにである。

ヒロシは回らない頭をフル回転させていた。

そもそも、シュノーケリングというやつは、この口から加えている空気のホースのようなものが水中から出ていることで成り立っているのではないのか。何かの本かテレビかでいきなり潜ったり浮き出たりすると肺が潰れるとか言ってたような、そもそもあの汚ねーアミっているか?イルカ見たかったな。。。

走馬灯とはこのことだろうか。

しかし、その老婆と子供はまだ目を輝かせてこちらを見ている。ヒロシは覚悟を決めた。頭の中ですべての行程のリハを済ませ、エイッ!

水中に顔を沈めた。そしてゴム製のペリカンの脚みたいなものを思いっきり振って水中に、振って水中に、もっと振れ、行けヒロシ

あれっ?


先ほどから何分経ったのだろうか、いや何年こうしているのか、、、

水中から出た足は空中をバタバタしているだけだ。

そりゃ進まんよヒロシ、ぷっ。などどいう余裕、いや猶予はヒロシには残されていなかった。もうピッチャー3杯分くらいの海水を飲んでいる。

完全にオーバードランクだ。

ヒロシはわらをも掴む勢いで岩場につかまりながら海中へと進んだ。

無我夢中で汚いアミを掴んで海面へと戻った。


死がそこにあった。

死んだ婆ちゃんが川の向こうからヒロくん、ヒロくんと手招きしていた。

川は渡らずアミを渡すと、死んだ婆ちゃんではない老婆は

「本当ににありがとうございました。なんとお礼を言っていいのか」

と言って玉手箱をくれる訳でもなく、

「ほら、ヨシくんもお兄ちゃんにちゃんとお礼を $%#$”‹flfi‹’”&!&#」

「お兄ちゃん、あり%‘!%”#’%$&’#&!”%$&”!%&!’&”」

もはや声も聞き取れない状態で、自らも声が出ない。ヒロシは渾身の爽やかなスマイルで親指を突き出し、一目散に逃げるように岸へ向かった。

あー、死ぬかと思った。とその時手に激痛が走った。ホオジロザメにやられたのか?ヒロシは咄嗟に手を見た。血だらけだった。

岩って危ないから、みんなも気をつけてね!

そこからは、海コワーイ、水キラーイ、手イターイ、カエリターイ

ヒロシのシティーリトルボーイが姿を現し、その後スーザンにビールを点滴され落ち着きを取り戻したものの、最終日は、ゴロゴロ、チャプチャプ、グビグビ、ペラペラ、グーグーにプンプンも加わりましたとさ。 オシマイ



旅とは現代の人間にとって、とくに都市部の人たちには必要不可欠なある種の現実逃避です。100年前とは比べものにならないほど多忙な日々を送る現代人にとって定期的な「日常からの脱却」はマストな行為だと思います。

そして100年前とは比べものにならない移動の利便性、そして日々安くなる移動、宿泊の費用。これは必然ではないでしょうか。いや、絶対に必要なんですよ!!

僕は大学時代から休みを使って世界中を旅し、そんな生活がこうじて就職もせず、20代の後半までは定職を持たずにお金ができちゃあ旅にでる、そんな感じで生きてきましたから、その後30代にしわ寄せが回ってきてなかなか長期の旅行が、経済的にも時間的にも難しくなっていきました。そして、ここ数年でやっと少しは“旅”と呼べるくらいの期間どこかに行くことができるようになりました。

それなのに、それなのに、あゝそれなのに〜



アフターコロナ、という言葉をよく耳にする昨今。いろいろとそれらしい本も

読み漁りましたが、世界の識者共通の認識としては、もう元の世界には戻らないということです。また、当面、おそらく1〜2年は現在の状態が収束に向かう気配はありません。そんな中でこのウイルスとどう付き合って行くのか、正しい情報を自分の感覚で収集して吟味し、正しく恐れながら共存していく以外ないのではと僕は考えています。

僕は陰謀論者ではありませんが、各国の政治はこの状況も確実に政治利用していますし、また責任回避のための情報操作もこの先進国の民主国家でさえ確実に行われています。力を失った旧来のメディアにも正しい情報を伝える能力はもうありません。

長く続くであろうこの新しい世界の中で、新しい生活様式、新しい仕事の仕方、そして新しい旅のスタイルを早急に確立する必要があると思います。

完璧な安全などはありえません。それはコロナに限った話では無いですし、なんとか少しづつでも人々が”旅”に行けるようになることを願ってやみません。

かつてあの石田純一も言っていたように、

旅は文化です。

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